2003年度  〈研究報告の総目次〉


2003.4.24

[日誌]第4号刊行

 第4号がようやく刊行。特集は、「戦争と私小説」。妙にタイムリーになってしまったのだが……。それはともかく、三号雑誌で終わらなかった小誌、これからも頑張りますので、ご愛顧のほどを。

[とーます]


2003.4.26

[日誌]東京学芸大学にて昭和文学会研究発表会

 東京学芸大学で行われた昭和文学会研究発表会で販売する。この日は他の出版社が販売しないなか、法政大学を中心に活動している他の研究会も出店。快く販売所を設置してくださった学芸大学のご厚意に深く感謝します。なかなか普段はお目にかかれない他大の先生方や研究者の方とも交流でき、そういったチャンスをこれからも大事に幅広く活動していきたいと思いました。

[nuts723]


2003.5.1

[日誌]境界というテーマ

 年度始めといえば4月1日なのだが、当研究会では、今年度は今日。来年こそは、3月までに刊行して、4月を年度始めとしたいものだ。さて、今年度のテーマは「境界」となった。色々ととりようのあるテーマで、なかなか難しい。どの作家を、どう扱うか、担当者の力量が問われることになりそうだ。

[とーます]


2003.5.3

[研究会]第1回[通算59回] 三島由紀夫「旅の墓碑銘」

 第5号刊行に向けて、今日からまた研究会がはじまった。記念すべき第一回は、大西望氏による三島由紀夫「旅の墓碑銘」を中心とした発表。この作品は「火山の休暇」「死の島」とあわせて菊田次郎ものと言われていて、菊田次郎はおそらく三島自身と考えられている。「旅の墓碑銘」は菊田次郎の小説内小説と「私」なる人物との会話で主に成り立っている。大西氏は作品の構造を読み解くことにより、「三島が菊田次郎と“二人羽織”をしているような遊び」「私小説的な読みをする読者を惑わすような小説」と結論づけた。議論の方向としては、発表者からの提案もあって、小説内小説と地の文とを読み分け、作品の構造を細かく見るということになった。が、おそらくそれも含めて三島自身の意図なのであろうが、一つの構造に集約せずいくつかに読みうる作品であった。また、今回は前二作との構造や内容、菊田次郎自身の比較までは話が進まなかったので、そういったことをふまえて、更に三島の私小説を壊す手つきを分析するのが今後の課題ということかもしれない。

[梅澤亜由美]


2003.5.22

[研究会]第2回[通算60回] 小林秀雄「中原中也の思い出」

 山根知子氏が小林秀雄「中原中也の思い出」について発表。山根氏によれば、「中原中也の思い出」は随筆的な文章でありながら、小林本人の告白という事実を中心として、小説の色と評論的な形式とも持ち得ている作品であるとのこと。「私」というものが、私小説・随筆・評論という各ジャンルの中でどう表現されうるのか、示唆深い発表であった。小林自身の「私小説論」との関連性も考察すべきという議論にも発展した。

[山中秀樹]


2003.6.5

[研究会]第3回[通算61回] 藤枝静男の「田紳有楽」

 今回の発表者は松下奈津美氏。藤枝静男の「田紳有楽」について。この作品は「「私小説」を越えた独自世界」と評されているが、「「私小説」を越える」とはどういう意味なのか。また、一般的な意味での「私小説」とは違う作品の形態から、どうやって「私」を読みとるべきか。松下氏は今回の発表で、これらの疑問に答えて、その幻想的な「私」、ニセモノ的な「私」を明確化しようとした。

[姜宇源庸]


2003.7.3

[研究会]第4回[通算62回] 太宰治「春の盗賊」

 姜宇氏による太宰治「春の盗賊」の発表。とかく自身の正直な告白として読まれがちな太宰作品を、メタフィクションとして読むという興味深い発表であった。発表者は作品の構造そのものを読み解き、この作品が「これから〈私〉が書くこの小説はフィクションである、と〈私〉は(フィクションの中で)言った」という「逆接の論理」で成り立っていると指摘する。そして、虚構の中で「嘘」を告白することにより、「『嘘』自体が虚構」となって「『真』に変えられる可能性をも内包してしまう」という。発表者によれば、この時代の太宰の作品の多くは私小説の論理を逆用しているのだという。では、太宰はなぜ、このようなメタフィクションを書くのか? あるいは私小説的方法を意識的に逆用するのか、ということが話題となった。

[梅澤亜由美]


2003.7.31

[研究会]第5回[通算63回] 島尾敏雄「鎮魂記」

 山中秀樹氏による島尾敏雄「鎮魂記」を中心とした発表。テーマは「夢と現実の境界」である。発表者は、今回の「鎮魂記」や「夢の中での日常」など作者の見た夢をもとにして書かれたと思われる〈夢もの〉について「混乱、変貌した戦後社会への違和感と深く関わり、それを夢と現実のないまぜになった状態として描き出したもの」とする。それはかつての特攻隊体験が「夢」なのか、戦後社会の現実が「夢」なのか、という島尾の現実認識によるものであるという。研究会では、小説中の「桃花村」や「えんじゅの樹」などの中国的装置の意味、「夢と現実」認識を受けて島尾の「身体と観念」認識はどうだったのか、などの質問が出た。夢も現実も「時がたてば」同等の「経験」であると捉え、小説で実践している島尾文学、またそれを詳細に分析した今回の発表は面白かった。

[大西 望]


2003.8.7

[研究会]第6回[通算64回] 水上勉「雁の寺」

 このたびは奥山貴之氏の発表。水上勉の私小説への態度や、作品の成立過程を視野に入れた「雁の寺」論となった。発表者は、作者の生い立ちや禅寺の侍者であった少年時代の実体験が作中の〈慈念〉に重ねてあることを鑑み、それに作者の「分身性」を見いだしたうえで、作品中の〈慈念〉の行動や描かれ方から、その心を「『母』思慕」とその先にある「社会」への「憎悪」とした。しかし、出席者の意見の中には、発表当時から時代を下った現代の読者には、水上の生い立ちの知識がないと、私小説性を感じられないとの意見も出た。直木賞受賞当時、私小説的ミステリーとして話題を呼んだ本作品であるが、現代での読まれ方と比較すると、当時この小説を受け入れた社会の状況に、今後の分析の鍵があるように思われる。

[山根知子]


2003.8.21

[研究会]第7回[通算65回] 中野重治「甲乙丙丁」

 今日は河合氏による、中野重治『甲乙丙丁』の発表であった。周知のように大変長くかつ難しい作品で、発表者はどんな風に作品を論じるのか、発表前からとても興味深く思っていた。発表者によれば、この作品は「政治的問題」を「肉体を持った個人」として描こうとしたものであり、それは社会的問題は描かれないと言われてきた「私小説の伝統」を乗り越えようとしたものであったという。このような発表者の意見に対して、果たして中野の意図は成功しているのか、「個人」の回想の多さなどにより「政治的問題」はぼやけてしまっているのではないか、また、なぜ、主人公を二人に分けたのか、発表者の指摘するような意図であったならなおさら、主人公は一人で良かったのではないか、などが議論になった。また、共産党の歴史に詳しくない人や、モデルが分からない人にこの作品は果たして面白いのかという意見もあった。

[山中秀樹]


2003.9.4

[研究会]第8回[通算66回] 中上健次「十九歳の地図」

 今回は伊原三好氏による発表。本作品を《事実と虚構を配し、より私小説に足場を置いた作品》とした上でその《事実と虚構》のバランスを問う、という伊原氏の発表は、「私小説、その境界」と掲げられた今年の研究会のテーマに即した有意義なものであった。新聞少年である主人公の生活と作者の私生活が合致していた《事実》はないし、電話によるいたずらや脅迫も《事実》ではない。しかしながら、おそらく主人公が抱える《やりばのない怒り》は生々しい《事実》なのだろう、と考える時、小説における《虚構》とは何を指し、何を意味するのだろうか――、出席者の側からもさまざまな意見が出され、活発な議論の場を持てたように思う。その他の質問としては、中上健次という作家の出自との関連性や、電話という装置の意味、《やりばのない怒り》の具体性などが挙がった。力強く、巧妙で、読み手がどんどん語りたくなる、魅力ある作品であった。

[東雲かやの]


2003.9.25

[研究会]第9回[通算67回] 荒木経惟「冬の旅」

 東雲かやの氏による荒木経惟「冬の旅」の発表。この作品は「私小説こそもっとも写真に近い」といった荒木自身の言葉を裏付ける、代表的な「私写真」である。妻の病気と死、その夫である私、そしてこの私生活の事件を撮り続ける「私」を描いた、言わば典型的な「病妻物」の私小説とも言える。発表者はこの作品を単なる「写真」ではない「物語」とし、その「物語性」を可能にした作者の意図、認識、方法などの分析を試みた。例えば、撮る「私」と撮られる「私」のボーダーレス、「記録」(=写真)と「記憶」(=言葉)のボーダーレスによって物語が生成されているが、その過程を、「表現の主体としての荒木自身の身体への高い意識」が方法として支えているということである。発表者以外の参加者からは、「写真」と「言語」の差、特に「写真」表現の限界なども議論された。ところが、ある意味でこの作品は「私小説」以上の「私小説性」を呈示しているのではないだろうか。

[姜宇源庸]


2003.10.25

[日誌] 大西巨人氏・インタビュー

 大西氏にご足労願って、法政大学大学院棟603教室でインタビュー。私小説論の合間にふと挟まれる、埴谷雄高や坂口安吾などの話題も大変興味深かった。詳しいインタビューの内容は第5号をお楽しみに。インタビュー後、近くの喫茶店でのお茶にもつき合って頂いた。大西氏は映画がお好きということで、お薦めの映画を幾つか教えて頂いた。ちなみに好きなハリウッド俳優は、ケビン・コスナーとのこと。最後に、大西巨人氏に改めて感謝致します。長時間ありがとうございました。

[大西 望]


2003.10.30

[研究会]第10回[通算68回] 吉田健一『東京の昔』

 志賀浪幸子氏による吉田健一『東京の昔』についての発表。この作品は小説偏重主義への批判者であり、「私小説」についてもまた徹底した批判者であった吉田健一による「私」語りの小説である。発表者によれば吉田健一は「私」という言葉さえも極力使わないという独自の「私」観をもっていたという。そういう吉田健一によって書かれた「私」語りの作品を、発表者は「吉田健一自身の『私』」を「意識的に排除」することによって、「個としての『私』を越えた、ただの人間としての生そのものに向かって開かれていった」ものだと分析した。一方、この作品は、吉田健一が小説として発表しているにも関わらず、図書館によってはエッセイとして分類されているという報告もあった。エッセイに分類されるということは、それを小説として考えるならやはり私小説として受容される可能性が高いということだ。作家の意図と離れた、読者の受容の問題、そういう点まで話題は広がり興味のつきない発表であった。

[梅澤亜由美]


2003.12.11

[研究会]第11回[通算69回] 私小説と映画

 今回の発表は、櫻田俊子氏による「私小説と映画」というテーマであった。テキストは、「私」ドキュメンタリーと言われる、河瀬直美の「につつまれて」(1992年作)。「私」ドキュメンタリーは、映像による私小説とも言えるだろうか。発表者はまず、映画の中での「私」の表現を分析し、「につつまれて」を、「私」のものがたりとドキュメンタリーの境界に位置するものとして捉えている。まさに、映像での撮す「私」と撮される「私」は、私小説における書く「私」と書かれる「私」の微妙な懸隔を露呈している。発表者はこの距離感からある「批評性」を読み取っている。なかなか面白いテーマで、議論も活発に行われた興味深い発表であった。

[姜宇源庸]


2003.12.20

[日誌] 大西インタビュー、校正作業

 今回は主に大西巨人氏インタビューを出席者で見直し、校正できる箇所は随時訂正する作業を行なった。話し言葉と書き言葉でまさに「攻めぎ合う」状況がまま見られ、いかに大西氏の話し言葉を生かしながら分かりやすい書き言葉にしていくかに困難を感じた。話を聞いている時には全く聞き流していた言葉も、いざ文字になると文章の前後のつながり、主語・述語の関係を意識してしまう。だがこの作業は自らの日本語論述に非常に勉強になった。そしてこの後は恒例の忘年会。来月の〆切に向けて意気昂揚できた(?)と思う。

[nuts723]


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