2002年度  〈研究報告の総目次〉


2002.5.2

[日誌]第3号発送と打ち上げ

  本日は、ようやくできあがった第3号の発送を行う。寄贈者のみならず、ダイレクトメール(前号を手紙か電子メールで注文していただいた方に、あらかじめ送っている)をお読みになって注文していただいた読者へも一斉に送る。ダイレクトメールの反応がいいということは、前号を評価していただいたわけで、うれしい限りだ。
 発送終了後は打ち上げ。次号の編集会議も兼ねているので、ついつい話が熱くなる。第2号に梅崎論を寄稿していただいた山内洋さんにも同席していただき、次の特集へのアイデアを色々と頂戴する。次の特集は一応は決まっているのだが、これまた一つの特集としてまとめあげるのには難しい。終わりは始まりというわけで、どうやら三号雑誌にはならなくてすみそうだ。

[とーます]


2002.6.20

[日誌]2002年度個人発表開始直前

  第3号の発送も終了し、いよいよ2002年度の活動がはじまった。うれしいことに今年は、参加者がかなり増える予定。発表者の数も多くなるので、今年は必然的に研究会の回数も増える。参加メンバーは各自の専門が違うのはもちろん、社会人の方も多いので、これまで以上に様々な視点からの意見が期待でき、充実した研究会活動となりそうだ。6月27日が今年度最初の個人発表による研究会となる。

[梅澤亜由美]


2002.6.23

[日誌]2002年度のテーマ

  いよいよ、三号雑誌の壁を乗り越えるべく、新年度の活動が始まる。今度のテーマは、戦争と私小説である。ある意味、手垢にまみれたテーマだが、そこは〈私小説〉という切り口により、新たなアプローチをお見せできるのではないか、と思う。

[とーます]


2002.6.27

[研究会]第1回[通算47回] 黒島傳治「軍隊日記」「渦巻ける烏の群」

  17:00〜、日本文学研究室にて開催。発表は姜宇源庸氏。黒島傳治「軍隊日記」「渦巻ける烏の群」。今年度最初の研究発表となるが、「ブルジョワジーの反戦文学」「プロレタリアの反戦文学」についてなど、多くの意見や疑問が出た。これから夏に向けて研究発表が続いていくが、この調子で活発な研究会となるようにしていきたいと願う。姜宇さん、一発目の発表お疲れさまでした。

[nuts723]


2002.7.11

[研究会]第2回[通算48回] 真杉静枝

 今日は伊原美好氏による真杉静枝についての発表である。伊原氏によると、真杉静枝については書いたものが手に入りにくい上、先行研究もあまり進んでいない。ただし、私小説として検討されるべき点は多いとのことだった。当研究会としては、かなり研究しがいのありそうな作家だ。また、伊原氏は派手な男性関係といった生き方そのものに興味が集まりがちなこの作家の、作品についてもっとスポットを当てたいという、ことであった。今回初めて作品を読ん人も多かったのだが、未知の作家について知るのはやはり楽しく、様々な質問が飛び交った。ただ、今回はみなが読んでこられる作品そのものが少なかったせいか、もう少しいろいろ知った上で、もう一度考えたいという意見も多かった。

[梅澤亜由美]


2002.7.25

[日誌]第3回[通算49回] 中村地平「戦死した兄」

 宮里潤氏による中村地平「戦死した兄」についての発表。宮里氏は、昭和十年代の知識人的悩みを持ちながら「野性人もの」などを書いていた地平が、兄の戦死を経て故郷に帰り、土地に根づいて生きる民衆の姿を「私小説的戦争小説」においても描くようになった、つまり戦争がその後の文筆活動に決定的な影響を与えた、と述べていた。発表に対する意見としては、兄は戦争で死んだにもかかわらず、その兄の死を幼いころからの運命であるかのように地平がとらえている、というものがあった。また、宮里氏も触れていたが、作品の最後で兄の姿を「幻視」することにどういう意味があるのかが話題となった。そこから、中村地平が見えないものに惹かれるというようなところがあるのでは、という議論にもなった。

[山中秀樹]


2002.8.1

[日誌]第4回[通算50回] 庄野潤三「相客」「団欒」

 本日は、山中秀樹氏による庄野潤三「相客」「団欒」の発表。山中氏によると、戦争体験と私小説について考えるには、作家ないしはその後作家となった人たちが、それぞれどのような戦争体験をしたかを整理することが重要であるとのことであった。その中において、庄野を考えると、第二次大戦下、第四期海軍予備学生であったこと、戦場体験がないこと、戦時下ならではの「おかしみや哀歓」に目を向けること、などを考えるべきとのこと。山中氏はそこから、庄野が戦争を運命としてとらえ、さらに戦争を大きな体験としてとらえながらも、それを真正面から書かないことに、その作家的特徴(いやなことは見ない、書かない)があるとのことであった。議論としては、庄野だけでなく、日本の作家達の多くが戦争を、国家的責任や加害者としてではなく、運命としてとらえるのはなぜかという意見がでた。これは、私小説的に戦争を語る場合ある程度否めないことであり、今後の研究会でくり返される問題点であるような気がした。

[梅澤亜由美]


2002.8.8

[日誌]第5回[通算51回] 野坂昭如「わが偽りの時」

 今回の発表は梅澤亜由美氏で野坂昭如「わが偽りの時」。野坂の「私」小説ということで、やはり問題となったのは何故野坂は(過去の事実を)偽るのか、という事だった。そして「わが偽りの時」の文章についても、素直に受け止められるという意見とやはりどこかで疑ってしまうという意見に分かれた。また、偽りが野坂の真実だという意見、固まった評価を拒む作家なのだという意見も出た。今回の発表や意見交換から個人的には、過去の事実よりも今の自分の真実を重視する作家なのでは、という感想をもった。色々な媒体で野坂を目撃するので、人によって野坂のイメージが違っていて興味深かった。

[大西]


2002.8.29

[日誌]第6回[通算52回] 後藤明生「挟み撃ち」

 今回は河合修氏による発表。表題は〈後藤明生「挟み撃ち」「夢かたり」に見る敗戦体験へのこだわり〉である。十三歳という年齢での植民地朝鮮における敗戦体験が、後藤明生の作品に、またその小説の方法に、どのような影響を及ぼしているかという点に着目した興味深い発表であった。河合氏によれば、「挟み撃ち」では〈戦後を二分する思潮に「挟み撃ち」されている自分から一歩も踏み出さぬ〉主人公が描かれており、その姿は後藤の敗戦体験に由来するものであるとのこと。また小説の方法としては、〈人間の「悲劇」を「喜劇」として描く〉姿勢が根本にあるとのことであった。また、発表者に対する質問としては、作品中における「私」の描かれ方の特徴について、などが挙がった。体験に基づく「私」を描きつつ方法的にも独自の試みを展開する後藤は、「私小説」を研究する我々にとって非常に興味深い作家であるように感じられた。

[東雲かやの]


2002.9.5

[研究会]第7回[通算53回] 河野多惠子「塀の中」

 今回は山根知子氏による「塀の中」を中心とした河野多惠子の戦争小説に関する発表。「塀の中」において、被服工場の宿舎で世話をすることになった子供の死にかんする主人公「正子」の考え方と、作中の「正子」と重なる河野多惠子自身の子供とその死への考えというものに差があるのか、そして差があるのだとしたらそれはどのようなものかということが問題になった。戦争を描いた作家は、概して戦争はどうしようもない運命であったと受けとっているという話が出たが、河野多惠子は子供を死なせてしまった責任を運命や時代に転嫁することを拒否しているのではないかという意見が発表者から出た。エゴというものとその発動による結果への作家の姿勢というものについて考えさせられた発表だった。

[奥山貴之]


2002.9.12

[研究会]第8回[通算54回] 火野葦平の戦争と私小説

 今回の発表者は松下奈津美氏。火野葦平の戦争と私小説について。発表者が取り上げた火野の大きな問題点は「兵隊」か「作家」か、つまり作中の「私」は「玉井勝則」(火野の本名)として語られているのか、それとも純然たる作家の姿勢を失っていない「火野葦平」なのかであった。自分は一兵士にすぎず、極限状態を兵士の目を通して描いているだけだと火野自身は強調しているが、それへの判断と評価は未だに検討の余地がある。他の意見に、作品だけを読んだ限り、火野を戦争協力者扱いする理由が分からないという疑問の声もあった。それほど敗戦直後と今の時代は隔たっているのか。それともどちらかに不自然な読みが介在していたのか。合わせて明快な答えを発表者に期待してみたい。

[姜宇源庸]


2002.9.26

[研究会]第9回[通算55回] 三島由紀夫『仮面の告白』

 発表は奥山貴之氏の三島由紀夫『仮面の告白』。後期授業が始まって第一回目の研究会となったが、参加者は若干少な目だったものの活発に意見交換ができたように思われる。三島の作品を「戦争と私小説」にどう絡めていくのかが焦点であった。また、三島の「仮面」についつい引きずられてしまうが、その点(「戦争と私小説」)に絞って言及できれば興味深い論が展開できそうだ。三島の「本質」が見てみたいものだ。

[nuts723]


2002.10.10

[研究会]第10回[通算56回] 郷静子「れくいえむ」

 大西氏による、郷静子「れくいえむ」についての発表。大西氏はこの作品を私小説とし、「軍国思想を捨てられなかった当時の自分を作者はこの小説で昇華しようとした」という読みをしていた。「れくいえむ」は第69回の芥川賞受賞作であり、当時の選評もまた、「戦中の体験と事実に立脚した小説」(船橋聖一)として扱っている。が、討論では、「れくいえむ」は私小説なのか、あまり私小説という感じがしないという意見が出た。私小説の定義自体も曖昧であり、郷氏自身も年譜等の伝記的資料も少ない作家なので、その点についての判断は難しい。最近、私小説は「読みのモード」の問題であり、読者が私小説として受け取ればそれは私小説だ、というような考え方がある。しかし、それだけではなく、同じ一人称小説でも私小説である作品と、そうでない作品とでは、やはり読んだときの印象が違う。私小説を私小説として感じさせるものとは何か、そういう点について、考えさせられる作品であった。

[梅澤亜由美]


2002.10.20

[研究会]第11回[通算57回] 永井隆『長崎の鐘』

 この度は東雲かやの氏による、永井隆『長崎の鐘』の発表。『長崎の鐘』の「浦上燔祭説」をめぐる批判的または宗教的な意見を詳細に引用し、作品分析だけではなく、この作品がいかに読まれたかということもよく分かる発表であった。発表者の意見としては、作品の後半にある「合同葬弔辞」が、カトリック的な特殊な場での言説であるにもかかわらず、作品全体を通じて原爆投下の解釈を長崎全体で一般化しているような印象を与えているということと、作品全体に「美」的表現が点在していることから、作者が意識的に「美化作用」を試みたことにより、「美談」として「国民共有の物語」として受け入れられた、ということなどが主に挙げられた。出席者の意見としては、作品の視点が混在していることから読みにくかったという意見、この作品が長崎の救いになったのではないかという意見、科学者と宗教家という二面性を持つ作者の人格について、発表中の「美化作用」についての賛否などが挙げられた。発表者が多角的な世評を丁寧に示してくれたおかげで、作品のみにとどまらず、この作品を取りまく思想をも考えられた発表であった。

[山根知子]


2002.11

[日誌]11月の編集会議

 特に事情がある人を残して、発表はすべて終了。何度か編集会議を行い、エッセイの依頼をすすめる。もう一つ大仕事として、10月に行った小島信夫氏インタビューの刈り込み作業をしている。こちらは難航。二時間近くお話を伺ったのに、実際に雑誌に載せるのは3分の1〜4分の1、ほんとうにもったいないし、何より申し訳ない気がする。やはり、インタビューの刈り込みは、何度やっても難しい。そろそろ書評する本もリストアップしなければならない、が、まず何より自分の原稿を書かなければ。

[梅澤亜由美]


2002.12.14

[日誌]昭和文学会 第31回研究集会

 法政大学にて、昭和文学会の研究集会。プログラムは以下。

小川洋子『妊娠カレンダー』論……成蹊大学大学院  高根沢 紀子
在日朝鮮人二世作家李恢成の表現─『砧をうつ女』を中心に─……法政大学大学院  河合 修
高度成長期のアヴァンギャルド─安部公房と『砂の女』─……波潟 剛
堀辰雄の文学方法論とピカソ─『眠つてゐる男』を中心に─ ……筑波大学大学院  兪 在真

 私小説研究会は、集会のお手伝いのほか、河合修が発表。発表に終わらず、論文に昇華されるといいのだが。なお、『私小説研究』も販売し、色々な方に買っていただいた。懇親会の後は、大学院棟の近くにある徳川というお店で二次会。二次会としては異例の出席者数らしく、盛り上がったまま、お開きとなったのでした。

[とーます]


2002.12.19

研究会]第12回[通算58回] 木山捷平『大陸の細道』

 これまで「大衆小説作家」としてしか評価されてこなかった木山の小説だが、状況の描写など評価出来る点が多いという内容の発表となった。当時の現地住民に対する日本人の態度を考えると木山の取った態度には「日本人」という驕りや差別的なものがない、というのが発表者の評価する点となった。表面的にはそう言えると思うが、もう少し検討の余地がありそうだ。この発表をもって全ての発表が終了したこととなる。あとは各自が4号に向けて書くだけとなった。

[nuts723]


2003.1.16

日誌] 第4号用論文締め切り

 今日は、論文〆切の日。結局、提出されたのは、論文3本。小論1本。個人的には、少し淋しい気がする。やはり、勝又ゼミのレポート提出と重なってしまったのが、最大の原因か? いろいろな人に状況を尋ねてみたところ、23日にはほとんどの人が小論を提出できそう、とのこと。査読をして、直しを入れて1月末には入稿という運びになりそう。

[梅澤亜由美]


2003.3.2

日誌] 創刊号、またもや在庫切れ

 第4号の作業も、いよいよ大詰め。という時期に、ネットで当サイトをごらんになった方、数名から注文が入る。増刷した創刊号も、とうとう在庫切れ。少部数の増刷は、さすがに割高だったので、今のところは増刷する予定は無し。ご容赦ください。

[とーます]


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