2004年度  〈研究報告の総目次〉


2004.4.11

[日誌]第5号刊行間近、メールアドレス変更

 第5号がもう少しで刊行となります。また、メールアドレスが変更になりました。新しいアドレスはこちらをクリック。第5号は、五周年記念ということで、気合いが入っています。ご予約も承っています。

[とーます]


2004.4.29

[日誌]今年度、基本方針の会議

 第5号が無事に出て、一息ついたところで、反省会と次号へ向けての会議。今年度のテーマは、「大正」に決定。読者の感想に、オーソドックスな私小説作家を取り上げて欲しいというのが多く、それに答える形にもなる。一年間の研究会活動の後に、どのような雑誌となるか、読者のみならず、会員も楽しみだ。会議の後は、第5号の打ち上げ。久々の無礼講。

[とーます]


2004.5.27

[研究会]第1回[通算70回] 寺田寅彦「自画像」

 今日は今年度、第一回目の研究会。今年は少し遅めのスタートとなった。毎年のことだが、その年の中心テーマを話し合い、各自の担当を決めたりと、実際の研究会がスタートするまではけっこう時間がかかる。ともあれ、第5号という一つの節目を経て、第6号は初心に返ってのぞみたい。さて、今日は山根知子氏による寺田寅彦「自画像」(大正9年)の発表。「自画像」は、自画像を描いている寺田寅彦が、さらにその過程を文章(随筆に分類)に書いている、という一風変わった作品。私小説では、小説を書いている過程がそのまま小説に表れているというものは多いのだが、「自画像」を描く過程というのが異色である。発表者もその点に注目し、「画業と執筆の私的連鎖」を生み出す「自画像を描くという行為の力」を指摘する。また発表者は、五枚の自画像を描く作者の思考の変遷を追うことで、作者が最終的に発見したのは自己(自我)というものの変動的な捉えきれなさで、当時隆盛だった白樺派的な強い自我とは異なるものだとする。そこから、これまで考えられてきたように、大正期の自画像のすべてが白樺派的な「自己中心的な文学の影響」を受けているわけではないと述べていた。議論では、洋画と日本画における自己表出の相違、自画像と私小説における自己対峙の相違、広がって当時の自画像そのものの時代的変化などが話題となった。山根氏は、今後、白樺派の描く自画像や私小説との具体的な比較検証をすすめ、さらにこの時代の自画像と私小説との関係を検証したいとのことであった。幅の広いテーマなので、今後の発展が楽しみである。

[梅澤亜由美]


2004.6.10

[研究会]第2回[通算71回] 島崎藤村「新生」

 今回は、姜宇氏による島崎藤村『新生』(大正8年)の発表。発表者はまず、私小説を自然主義を受けた大正期の新しい文学と位置付け、中でも私小説『新生』は「藤村個人における自然主義との決別と、文学史上における自然主義の終焉を意味する」とした。また、当時の文壇の風潮と私小説評価を分析し、評価の基準が、作中での告白の「衝撃性の程度と共に、作者自身が犠牲にした立場の高低にもあ」り、その意味でも『新生』は「自己暴露の頂点に位置する作品とみていい」とした。小説内容の分析では、主人公の罪の認識と懺悔に注目し、作者の意図的な「宗教化」を指摘。また主人公が小説上で事件を公表することは、作家としての「私」の追求とともに、公表後の親族、世間の反応を描写することで「不徳」である自分と世間は変らないのだという「世間の暴露」、その告発も含まれていると指摘した。研究会では、『新生』が新聞連載小説なので、連載時の反響は小説に影響していないか、小説の結末が自己解決していることなどの問題を議論した。今後、私小説研究における『新生』の再評価が期待できる発表であった。

[大西 望]


2004.6.12

[日誌] 2004年昭和文学会春季大会で販売

 昭和文学会春季大会の行われる日本大学にお邪魔し、第5号およびバックナンバーを販売する。大会のテーマは「詩とアヴァンギャルド芸術―文学と美術の接点をめぐって―」で、「私小説」とは微妙にスゥイングしなかったり、 さらに出店のポジショニングの悪さも重なるなど、売り上げが心配されたが、終わってみれば上々であったと思う。場所をお貸し下さった昭和文学会並びに日本大学の御厚意に深く感謝いたします。

[田口 武]


2004.7.1

[研究会]第3回[通算72回] 上司小剣「父の婚礼」

 大西望氏の発表。知名度が高くない作者であるが、その言動、作品への同時代評・先行研究を丹念に紹介し、中身の濃い発表となった。ジャーナリストであった作者にとって小説を書くことは、「新しい生活」へ進むための苦悩の過去を消化する手段であり、また、その意匠は当時すでに確立されていた私小説の「自分のことばかり書」くという方法を越えたものであった、というのが発表者の論旨である。参加者の質問としては、社会主義に傾倒した作者の「生活」の意味、この作品が作者の小説全般の中で占める位置についてなどが挙げられた。また、作品に対する意見としては、男性の情欲を緻密に描いた作品であるとの意見もあった。作者の全人生の中では幾度か転機があるらしく、つかみどころのない人物であるということが分り面白かった。また「簡易生活」を好んだ小剣のその主義にも興味が集まった。作者の生活に対する理念とこの小説の交差点を追求する事が、論文への主な課題であるとのまとめとなった。

[山根知子]


2004.7.15

[研究会]第4回[通算73回] 佐佐木茂索「曠日」

 田口武氏による佐佐木茂索の「曠日」の発表が行われた。発表者はまず、同時代評を詳しく紹介し、当時評価されていた佐佐木模索の「モダン」な感覚は、同時代的なものでしかなく、現在ではそれの風化により、「マイナー作家」として「忘れられ」てしまったと指摘する。一方で、佐佐木模索の作品には「モダン」性のほかに「繊細な情緒」が流れていることに注目し、発表者はそれを作品の「二重性」として捉えている。例えば、「曠日」における主人公禮助の實枝に対する態度や感情にも「二重性」が表われており、それは佐佐木の作家的気質と無関係ではないということである。このほか、様々な分析を試みた後、「都会的」である小説と私小説とは反発していると思う(発表者は)ものの、この二つの合一を図ろうとした作家として発表者は佐佐木茂索を位置づけている。所謂文学史上では新感覚派として括られている佐佐木茂索だが、その正否以前の問題として、「新」感覚的なものと、「私」小説的なものを一つにした作家を論じる発表者の「感覚」に首肯できた研究会であった。

[姜宇源庸]


2004.7.28

[研究会]第5回[通算74回] 水野仙子「四十餘日」

 今回は、沼田真里氏による水野仙子「四十餘日」の発表が行われた。まず、水野仙子の作者紹介、作品紹介から始まった。「徒労」で文壇に登場し田山花袋の激賞をうけ、それを契機に田山花袋に入門したと聞く。又、水野仙子の作品を分析すると、投稿時代、田山花袋を支持した時期の自然主義文学時代、結婚を期に田山花袋を脱出し新しい創作文学を試みた時代そして晩年の宗教色の濃い死を見つめた時代に区分できると言う。「四十餘日」は「徒労」と同じく、田山花袋の自然主義文学を支持した代表的初期の作品である。どちらも家を守る長姉の異常出産をテーマとしたものである。「徒労」は、女性の目で、冷静にそして大胆に、死産にいたる出産の場面を、呻き、悲鳴、血、白い布をかけた小さな木箱等をキーワードとし、それをリアルに描いた衝撃的なものであった。この続編ともいわれる「四十餘日」はやはり姉の二度目の異常死産をモチーフとしているが、「徒労」と異なり、出産の衝撃的な場面を直接に記述してはいない。そっとはこびだされる「白木の小さな箱」その上にかけられた「赤い裏のついた着物」や、屏風に付着した「字の跡を散して血の跡」でその異常であった出産と、その姉を回復させようとするまわりの人々の緊張した日々をリアルに記述している。沼田氏は、お勝(長姉と母とそれらを取り巻く人間達)から「出産と家と女」の問題を、そして、お芳(妹―水野)を描くことで「書くことで女の自我のめざめとさらなるそれらの追求」の問題を提起していると指摘する。後に水野は雑誌「青鞜」にも作品を発表するが、その「青鞜」発刊以前に「家と産む性」と「私」についての問題を作品化させていることに注目している。水野は「青鞜」運動が始まった頃にはすでに「我々は覚醒せりと叫ぶひまに、私達はなほ闇の中をわが生命の乾き…」といったさらなる自我の追求をしていると言う。そこに沼田氏は「時代をさきどる仙子のあたらしさ」と明治四十三年頃の男性の立場から書かれた堕胎小説、妊娠小説群に対し、それに対抗して女性の立場から書かれた初めての「妊娠小説」であったことを指摘した。しかし、「四十餘日」は女性の出産問題をリアルに扱っているが「妊娠小説」という範疇でくくるのは問題ではないかという議論もあった。

[伊原美好]


2004.8.5

[研究会]第6回[通算75回] 阿部次郎「三太郎の日記 第壱」

 今回は山中秀樹氏による阿部次郎『三太郎の日記』の研究発表が行われた。旧制一校では必読書であったと言われる本書であるが、内容が難解さに手を焼くことが多く、理解が容易ではない作品であったと思う。発表は丹念に作品中にあらわれる「三太郎」、ひいてはそれに仮託した阿部次郎の「自己」を探ろうというものであった。全体としてみれば、「統一を欠いた自己」と見える「三太郎」の「自己」であるが、長い年月の中で「自己」と向き合い、そしてそれを語ろうという行為と格闘すれば、当然そうなるものであるのかもしれない。発表者はそうした統一のない「自己」の中にも、自分の前進、サクセスストーリーを疑わぬエリート意識があることを指摘し、大正教養主義との関わりを説いた。今後の方針としては『三太郎の日記』は小説や、私小説とは言いがたいものではあるが、このような「日記」という形であらわれた「自己」をどう捉えるかということに問題意識を持ってまとめてゆきたいということであった。旧制一校生達の必読書ということであったが、彼らがどうこの作品を受け取っていたのか、恐らく読んだであろう元某球団オーナーのマスコミに出る言動を見ていると非常に興味が湧いてくる。

[奥山貴之]


2004.8.19

[研究会]第7回[通算76回] 谷崎潤一郎「神と人との間」

 発表者は梅澤氏。出席者はお盆休みが近いということもあり少なかったが、少なさを感じさせない活発な議論が行われた。佐藤春夫、千代夫人との三角関係を題材として書かれた反面、フィクショナルな小説である作品を、どのように私小説と絡めて論じるかが焦点となった。これまでそのような試みがなされていないということが新鮮であった。

[nuts723]


2004.8.26

[研究会]第8回[通算77回] 菊池寛「無名作家の日記」

 本日は、東雲かやの氏による菊池寛「無名作家の日記」についての発表。発表者は、とかく主人公=菊池という「モデル小説」として読まれがちな作品について、そういった「文壇裏話的面白さ」はあくまで「テーマを浮き彫りにするための意図的な仕掛け」にすぎないというところから出発する。そして、「〈無名作家〉の大量発生」は「大正期の一つの風潮」「時代的な現象」であることを指摘し、「〈無名作家〉の叫びは“作者の告白”ではなく、一つのテーマ」なのだと述べる。また、こういったテーマを作品化するところに、その時々で話題になっている出来事を敏感に取り入れていく、菊池の「ジャーナリスティックな一面」が示し出されているとのことであった。今回、私小説とは言えないこの作品をどのように私小説と関連づけてゆくのか、といった質問があった。雑誌全体の特集テーマが流動的なのは毎年のことなのだが、今回の発表は改めてテーマの方向性についてを確認するきっかけともなった。「私小説」と大正期の作家たちはいかに向き合ったのか、あるいはどう距離をとっていたのか、そういったことを少しでも浮き彫りにできれば興味深い特集となるのではないだろうか。

[山中秀樹]


2004.9.2

[研究会]第9回[通算78回] 岩野清「愛の争闘」

 伊原美好氏による岩野清「愛の争闘」の発表。おそらくかなりマイナーであると思われる今回の研究会である。岩野泡鳴の二人目の妻にして、『青鞜』の論客である筆者の、岩野泡鳴との実験的な同棲生活から結婚、そして離婚に至る過程を描いた日記である。今回で「日記」を素材にしている作品が三つ目なのであるが、この「愛の争闘」が最も日記らしく(そもそもが「日記」として出版されているので当然だが)、まずはそのあたりが問題となった。というのも、この作は家を出ていこうとする岩野泡鳴に対し「同居請求」の裁判を起こし、その最中に出版されたもので、そこに書かれていることが果たして真実であるか否か、ということから考え始めたからである。裁判に都合の悪いことは書かれていないだろうと言う推測や、極めてフィクショナルな匂いを感じさせる箇所もあるとの発表により、我々はこういった「日記」をも「私小説」と読むのかどうかの態度をはっきりせねばならぬ必要が出てきた。当研究会で扱うのは勿論「私小説」なのであるが、今回のテーマでは「私小説」成立以前の作品が多々扱われており、改めて(毎週のように)我々の考えるところの「私小説」とは何なのか、と感じさせる研究会であった。

[田口 武]


2004.9.16

[研究会]第10回[通算79回] 里見[弓享]「失はれた原稿」

 今日は、大沼孝明氏による里見[弓享]『失はれた原稿』の発表。『失はれた原稿』は、里見の『君と私と』の第五回分にあたる原稿が紛失したという事件に端を発する作品である。周知のように、里見が志賀とのことを書いた『君と私と』は、志賀による『モデルの不服』をはじめ、二人の間の確執のきっかけとなった作品である。今回発表者は、この『君と私と』にはじまる里見と志賀の確執の総決算とも言える『失はれた原稿』をとりあげ、「里見の志賀に対する疑念の行きついた」所を読み取る。討議では『失はれた原稿』に里見の志賀への悪意を感じる読み手と、感じない読み手がいたことが面白く感じられた。発表者はやはり悪意を感じるという方向の読みで、捨てきれない志賀への疑念が、『失はれた原稿』に「噴出してしまった」のではないかとのことであった。その結果作品は、登場人物たちが里見の代弁者となってしまったりと、ご都合主義的な面が否めないとする。そして、里見の「自己意識の吐露」であるこの作品は、フィクションが多く含まれているものの、極めて私小説的な作品であるとのことであった。こういう作家同士の確執を扱うと、ことの経緯が複雑なのでレジュメがどうしても長くなる。今回も今年もっとも長いレジュメとなった。発表者の方、本当にご苦労様でした。

[梅澤亜由美]

注・[弓享](とん)は一字。


2004.9.19

[日誌]合宿と駒尺喜美氏インタビュー

 9月18、19日、大学院の勝又ゼミ合宿を兼ねて伊豆市にあるライフハウス「友だち村」へ行った。そこにお住いの元法政大学教授、駒尺喜美先生へインタビューをするためである。ウーマン・リブの先駆けである駒尺先生に私小説の話題を中心に漱石のことや様々なことを語っていただいた。どのお話も先生固有の意見がうかがえ有意義な2時間であった。さすが何十年もの付き合いだという勝又先生との会話は、全てを語らずとも解り合える仲という感じをうけた。インタビューの詳しい内容は雑誌第6号発行までしばしお待ちを。最後に、インタビューを引き受けてくださった駒尺先生、あたたかく迎えてくださった「友だち村」のスタッフの皆様にお礼申し上げます。

[大西 望]


2004.10.7

[研究会]第11回[通算80回] 芥川龍之介と私小説

 今日の研究会は、浅沼典彦氏による「芥川龍之介と私小説〜芥川の私小説観を中心に〜」の報告が行われた。芥川の私小説に関する数少ない言述から、芥川の私小説観を探ろうとするものである。発表者ははじめに、小林秀雄が、私小説運動と運命をともにしなかった鴎外と漱石の洞察は芥川に継承されたと述べていること、あるいは、大正十三年以降に芥川の周囲で盛んに行われた私小説論争に芥川は積極的に加わらなかったことなどから、芥川と私小説との距離を明らかにした。しかしその一方で、芥川は私小説に対しては否定的な態度はとっておらず、志賀直哉の『焚火』に影響された『海のほとり』を執筆したり、葛西善蔵を評価したり、あるいは、自身の幼少・少年期を回想したり、芥川の子供たちとの交流を描いた作品なども執筆していることを指摘した。ただ、自己を語ることによって自己救済を行う多くの私小説作家と芥川とは決定的に違っているとする、駒尺喜美先生の論を引用し、そこに芥川が執筆した私小説と呼ばれる作品群の不安定さを明らかにした。その上で発表者は、芥川が私小説として捉えていたものは、文芸の一分野で独立しているような存在ではなく、文芸の全体像の中から詩的精神となり得たものだけを掬いあげて私小説と認識していたのではないかと考えた。ただ発表者自身も述べていたが、詩的精神についての芥川による明確な定義付けがなされていないという問題点。あるいは、芥川にとっての私小説は創作に行き詰まって行き着いた先であったのではないか、といった意見が出され、これらの問題に対する討議が活発に行われた。王朝もの、切支丹もの、開花ものなどに代表され、新技巧派などといわれる芥川の作品に、私小説の読みを持ち込んだ今回の報告は大変興味深いものとなった。

[大沼孝明]


2004.10.28

[研究会]第12回[通算81回] 「奇蹟」の軌跡

 今回は松下奈津美氏による、「『奇蹟』の軌跡」というテーマで、『奇蹟』派についての発表。奇蹟同人の紹介から始まり、自然主義からの脱却とともに作家の心理を忠実に描写するという作風や、『奇蹟』派のモデル問題と『奇蹟』の主義・主張の矛盾、「道場主義」など様々な角度で奇蹟派を読み解いた。なかでも特に、モデル問題の発生時期について議論が高まった。雑誌「奇蹟」廃刊後に初めてモデル問題が発生している点と、当時作家同士の暴露というスタイルが流行していた時期が重なる点から、作家のモデル問題の成立が先か後かが焦点となった。作家の側で既に、当時の作家同士の暴露というスタイルを意識し、私小説が書かれていたのならば、私小説の発生以前に作家同士の暴露・モデル問題というスタイルの成立があったのかもしれないとの意見もあげられていた。松下氏が「普通人」と「道場主義」と指摘していたとおり、『奇蹟』派にはかなり個性異なる作家たちが集まっているため、一つの派としての評価は難しいと思われた。が、今回の様々な角度からの緻密な分析により、『奇蹟』派の新たな評価に繋がりそうだ。

[沼田真里]


2004.11.11

[研究会]第13回[通算82回] 伊藤野枝「動揺」

 奥山貴之氏の発表。これはまた不思議な作品である。今まで文学に「報告」という ジャンルがあったのだろうか。手紙をそのまま載せたものが創作になれるだろうか。 なれるとしたら、それは「書く」行為ではなく「載せる」行為に意味があるのかもし れない。発表者は「動揺」(大正二年八月『青鞜』)が発表される前後の事情を調 べ、その動機を探ろうとした。また「小説」ではなく「報告」とする作者の意図と、 テキストそのものの意味を追究した。参加した会員の論議は様々であったが、この作 品はテキストの内質はともかく、「発表」することが一種の「思想」ではないかとい う意見があった。自己報告という文章が文芸誌に載る自体、「私小説」という言葉が生まれる前の、私小説的な文壇の状況をうまく説明していると思われる。修論提出を 目前にした発表者の誠意に感謝する。お疲れさまでした。

[姜宇源庸]


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