2008年度  〈研究報告の総目次〉


2008.7.10

[日誌]『私小説研究』第10号に向けて

 いよいよ10号である。となると、決算的な特集をやりたくなる。題して「私小説の可能性」。さて、どのような特集号ができあがるやら。いつも以上に、予想のできない一年の始まりである。

[とーます]


2008.8.11

[研究会]第1回[通算109回] 阿部昭「浦島太郎」

 阿部昭の遺稿「浦島太郎」の山中秀樹氏による発表。やや非主流を自負しているようにみえる阿部昭の「小説解体」的な作品を、山中氏は私小説の新しい可能性を示すものとして取り上げた。確かにプロットなど小説の型とは無関係な「浦島太郎」は、その形式的な破綻がむしろ語り手〈私〉の批判的な言説を補って調和している。その意味で「〈普通の小説〉・小説形式に対する紋切り型批評を意識しつつ」、自分をも「冷静に相対化」したとする発表者の指摘は正しい。ただ、随所でみられる阿部の「違和」がどこから発し、〈私〉の「批判」の根源にはいったい何があるのか、後もう一歩突き止めていただきたい。1年ぶりの研究会参加で個人的には感無量であった。

[姜宇源庸]


2008.8.12

[日誌]第2回[通算110回] 三島由紀夫「荒野より」

 今日は夏期集中研究会の2日めで、大西望氏による三島由紀夫「荒野より」の発表であった。まず、発表者を含めた参加者の作品に対する印象、読み方が大きく分かれた。一つは、この作品を素朴な私小説(心境小説)的に読み、作中の「私」の小説を書くことへの恐れを当時の三島の素直な感情とする読み方である。もう一つは、日常に侵入してきた闖入者を自らの観念的世界で染め上げてしまうとする、「幻想小説と化した三島由紀夫の私小説」(橋本治)に近い読み方である。発表者は、前者の読み方で、「作家の日常生活に突如闖入してきた青年」=「今の自分の生き方に疑問を投げかけるもう一人の自分」であるとし、当時ライフワークである『豊饒の海』を書いていた三島の中に、既に「言葉の世界への疑問」が生じており、「ライフワークを書き続けねばならない自分とそれに躊躇う自分」、「「三島由紀夫」という仮面に流される自分」とそうではない自分、「言うなれば三島由紀夫の分裂」があったとする。その上で、発表者は「荒野より」という私小説は、『豊饒の海』というライフワークに対して、サイドワーク的なものとして書かれた当時の三島の隠された心情が吐露された作品だとした。大西氏は「私小説研究」第5号で「三島由紀夫私小説語録」を担当した。今後はそれを活用し、三島の私小説観と実際の私小説との比較を考えているとのことであった。

[山中秀樹]


2008.9.11

[研究会]第3回[通算111回] 呂赫若『玉蘭花』

 本日は、奥山貴之氏による呂赫若『玉蘭花』の発表であった。呂赫若は1930年代半ばから1940年代末まで活躍した台湾の作家で、第二次世界大戦を挟んで前半は日本語で、後半は中国語で小説を書いた作家である。『玉蘭花』はその前者に当たる作品で、話し言葉は台湾の言語であったにもかかわらず、同化政策の中で受けた教育により文章は日本語で書くしかなかった呂赫若が、1943年に「台湾文学」に発表したものである。発表者は、作品について、日本や日本人を悪く書くことが出来なかった時代の中で作家が〈価値、判断を明確にしないという立場〉で書いたとした。そして、作家が作品でそれほど攻撃的な態度をとらないのは、言論弾圧のせいばかりでなく、〈自分の立場にジレンマを感じている〉せいではないかと述べた。というのも、呂は、生まれ育った台湾に愛着を持ちながらも、旧弊で封建的な台湾社会を批判する作品を書いていた。台湾に愛着があるからこそ台湾を変えたいのだが、現状では台湾社会の変革も〈日本と関わらずには求められない〉し、自らの文学もまた然りである。それでも日本の統治からは脱したい、そのような台湾や日本に対する作家の屈折した思いを、発表者は一読幼い頃の思い出を語っただけのように見える作品に投影していた。また、〈母語しかできない当時の思い出〉を〈(強いられた)日本語〉でしか作品に出来ないことも、〈皮肉〉であるとのことだった。当研究会でもインタビューをしたことがあるリービ英雄や、最近芥川賞を受賞した楊逸のように、別の母語を持ちながらも、あえて日本語で小説を書く日本語作家が出てきている。そのように自らの意思で日本語を選択した作家と、状況の中でそうせざるを得なかった作家達、そのような視点からの比較もまた、興味深いように感じた。

[梅澤亜由美]


2008.10.21

[日誌]「研究成果報告書」リポジトリ公開

 科学研究費補助金事業「アジア文化との比較に見る日本の「私小説」」の「研究成果報告書」ですが、このたびリポジトリ公開が始まりました。PDF形式にて、報告書の全文が閲覧、およびダウンロード可能です。興味のある方は、ぜひともご覧下さい。

http://rose.lib.hosei.ac.jp/dspace/handle/10114/1943

[とーます]


2008.10.31

[研究会]第4回[通算112回] 川崎長太郎「蝋燭」

 本日は、斎藤秀昭氏による発表。発表のタイトルは「文芸時評家 川崎長太郎」である。タイトル通り、私小説作家として知られている川崎長太郎の、文芸時評 家である側面を、発表者が見つけ出した実証資料をもとに分析した内容である。川崎長太郎は、私小説「蝋燭」の中でも「隠れた仕事」と書いているように、戦 時中の約5年間、新聞紙上で匿名の文芸時評を担当していた。発表者は、300回以上掲載された川崎長太郎の匿名文芸時評を読み込み、時評の対象が多岐に渡 ることや当時の国粋主義や国民統制を批判する一貫した態度などを指摘し、レベルの高い文芸時評であると評価した。文芸時評をしていた時期は、川崎長太郎を 研究するうえで「極私的な私小説作家というイメージを刷新する可能性」のある重要な時期ということであるが、このことと第10号のテーマとを論文でどう繋 げるか、また文芸時評をしていたことによる「蝋燭」への影響などが指摘されれば、と期待する。難しい問題だが新しい資料の提出があっただけに楽しみである。

[大西 望]


2008.11.27

[研究会]第5回[通算113回] 三浦哲郎『忍ぶ川」

 本日の発表は、渡辺賢治氏の発表であった。レジュメのタイトルは、〈「私」表現の美しさ―三浦哲郎「忍ぶ川」〉とされていたが、その「私」表現の美しさとは何かについて最初から活発な議論となった。『忍ぶ川』は昭和35年下半期の芥川賞を受賞したものであるが、選者のほとんどが、清純な美しい小説、大正時代の恋愛小説のような古めかしい小説であるがその形がかえって新しいと評したものが多かったが、渡辺氏は作者の身辺問題を突出しすぎない適度な清純さや素朴さを中心としながら、それらをバランス良く適度な調和を保って表現しているからこそ、読み手に心地よさや美しさが伝わるという。ここに、私小説の可能性をみている。一方、血の問題に葛藤する作者の内面の暗さを意識的に消し、女性の耐え忍ぶ美しさを、「定型な女性の美しさ」として際立たせたのではないか。つまり、時代小説のように額縁に入ったような、美しいものしか見ない、美しいものしか見ない小説として仕上げ「私」表現の美しさを協調したのではないかという意見もあった。

[伊原美好]


2008.12.11

[研究会]第6回[通算114回] 藤枝静男『空気頭』

 本年度最後の研究会を締めくくったのは、梅澤亜由美氏による藤枝静男『空気頭』であった。発表者が提示した問題点は大別して三点である。まずは章立ての問題。初版は四章構成であったにも関わらず、現行する出版物には三章立てのものがある。私小説についての所感を述べる一章(初版)と、妻の闘病について語る二章(初版)が故意につなげられて一章とされるのであれば、そこに何らかの意図があるはずだ。この点はもう少し調査が必要であるとされた。問題二点目は、先行研究でよく言われる〈コラージュ〉という手法についてである。『空気頭』はその先行研究において主に第三章が取り上げられ、学術的事実の張り合わせの手法であるとの説が有力である。事実、その裏づけ作業は綿密に完了しており、疑う余地がない。しかし、発表者はさらにその〈コラージュ〉が何のために行われたかを論じる必要があるとした。参加者から藤枝自身の言葉「盲人の彫刻に似た実在感」にその意図を解き明かす鍵があるのではないかという意見が出ると、それをきっかけに議論が発展した。自らの作品が私小説であると一貫して発言した藤枝が、なぜ学術的事実をふんだんに織り合わせる手法に出たのか、再考する余地がある。そして三点目は藤枝の私小説の手法についてである。藤枝は〈尾のない輪のような〉三つの苦悩と闘ったと発表者は述べる。発表者が用意した作品進行表をみると、〈自身の気質〉は全体に散見できるものの、章立てを分けて書かれている〈家族の病気〉〈自身の性欲〉は、実は時間軸が平行していることが分かる。一つの塊であるはずの私生活を、なぜ藤枝は分裂させて描いたのか。〈私小説に徹し〉、と評されて揺るがない藤枝文学は、新たにその手法を見直す時期が来ていると思われる。

[山根知子]


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