2005年度  〈研究報告の総目次〉


2005.4.9

[日誌]独自ドメインでの運用開始

 いつのまにか、このサイトも運用してから五年。節目、というわけではないのですが、独自ドメインで運用することになりました。メールアドレスも、またまた変更になってしまいましたが、ドメインとともに、当分は最新のもので固定となるでしょう。新しいURLは、http://www.i-novel-hosei.orgです。短くなって、覚えやすくなりました。

[とーます]


2005.4.22

[日誌]第6号、発売

 大正期は、「私小説」という言葉が生まれたとされている時代。第6号の特集「大正期・私小説の氾濫」は、まさしくその頃を対象としています。予定より若干遅れましたが、いよいよ発売です。

[とーます]


2005.5.12

[日誌]第6号反省点と第7号テーマ

 今日は今年度のスタート。今年は改革の年。特に、第6号において表紙のミスという失態を犯し、上手く機能しなくなっていた校正システムを大幅に変更。その他にも、原稿の取り立て、郵便物の処理、など改善。これらについて決定後、漸く第7号に向けての企画会議。中心となるテーマはだいたい決まったものの、発表スケジュールの調整にはまだ、時間がかかりそう。とりあえず、次回再度の企画会議と6月から発表を開始する旨を決定し、本日は終了となる。

[梅澤亜由美]


2005.6.10

[日誌]2005年度のテーマ「社会派の私小説」

 2005年度のテーマが決定。「社会派の私小説」となりました。はたして、どのような小説が取り上げられることになるやら。今後の研究活動報告にて、ご確認ください。

[とーます]


2005.6.18

[研究会]第1回[通算83回] 小田 実『「アボジ」を踏む』

 今年も『私小説研究』第7号発行へ向けて、本格的に発表が始まった。短篇小説ながらも、様々な議論がなされ、この小説の持つ奥深さを感じた。まずは、この小説はエッセイではないのか?という発言から始まり、これまでの小田実の小説(例えば『アメリカ』など)とはどのように違うのか、また変化していない点があるならどのようなところかという作家としてのスタンスを問う議論が中心となった。また、作者がこだわっている小説内の表記の問題についても、小説内の例を挙げながら検討され、充実した議論が展開された。次第に、表記の問題や作品の内容から判断して、やはりこの小説は「小説」として読むのが妥当であろうという結論に帰着したのも今回の収穫と言えるだろう。第1回目ということで、あまり準備期間がなかったのに担当してくれた沼田さん、お疲れ様でした。

[nuts723]


2005.6.30

[研究会]第2回[通算84回] 平林たい子「一人行く」

 今年第二回目の発表は、梅澤亜由美氏による平林たい子「一人行く」。この小説は一九三七年の人民戦線派大検挙事件の余波で夫婦ともに召喚され、留置所生活を余儀なくされたことから動き始めた自己の内面を描いた平林の私小説である。発表では、平林の詳しい年譜や「こういう女」など他作品を引用しながら作品分析がなされた。「一人行く」は作家のこれまでの自我が壊れていく瞬間を描いた作品であり、当時、プロレタリア文学運動、マルクス主義に関わる作家が迫られた自己や思想の捉え直しの中で、平林持ち前の体験主義からくる分かり方の深さや、外圧からではなく自らこれまでの限界に気付いたという特徴が表れている作品だと指摘された。個人的な作品の感想だが、「一人行く」「こういう女」も題名からして、作品に描かれた体験をし、それを書いている自分を見るもう一人の自分の影を感じる。それは発表者のレジュメにもあったが、時代思想に容易く流される一部のインテリに対する批判を、まさに身をもって主張し、重ねて、主張していることを意図的に主張している印象を受ける。ともあれ、こうした優れた私小説を今年の研究会のテーマ「社会派の私小説」に沿って読み解くことは難しく、今回の研究会でも議論となった。今年はこのテーマをどう捉えるかが問題となりそうだ。

[大西 望]


2005.7.21

[研究会]第3回[通算85回] 中野重治「梨の花」

 第三回目の発表は、松下奈津美氏による中野重治の「梨の花」。1957年1月から1958年12月に雑誌「新潮」に23回にわたり連載された長編小説である。中野重治と思われる高田良平の少年時代を、克明な時代背景の切り取りの上に、少年の自我の成長記録として、徹底したその少年の視点から書き上げられたものである。厳しい冬の時代を経てきた作者ならではであるが、中野独特の文体と方言がちりばめられていた。何故、中野重治はこの時期、つまり、「村の家」「歌のわかれ」「むらぎも」等々を書いた後、54歳になって少年時代を取り上げたのか、又、おばばの死の時期や兄・耕一の年齢にフィクションをまじえて「梨の花」として私小説で現わさなければならなかったのかが論点となった。又、ある時期「梨の花が咲いていた。そしてそれがほんとうに美しかった」のに、何故良平はその梨の花が、「咲いているのはわかる。花だからきたなくはない。しかしただそれだけで、きたなくもないないが美しくはちっとも見え」なくなったのか。それは何を意味するのかについても白熱した議論となった。

[伊原美好]


2005.7.28

[研究会]第4回[通算86回] 野間宏「顔の中の赤い月」「崩解感覚」

 第四回目の発表は大沼孝明氏による、野間宏「顔の中の赤い月」「崩解感覚」。一九四七年八月に「顔の中の赤い月」が、一九四八年一月〜三月に「崩解感覚」が発表されている。どちらも作品舞台は敗戦後の東京、主人公は復員者で、戦争体験と復員後の現在の生活や女性関係が描かれた作品だ。議論の焦点は、まずこの二作品がどの程度私小説と読めるのかという点だった。野間自身の戦争体験が下敷きになってはいるが、「顔の中の赤い月」の細部の描写や結末などは、作家によって意図的に作られた印象が強いという意見もあった。短編として完成されているだけに、物語としての作意が感じられるのかもしれない。発表者の考察では「人間否定・人間の希望を打ち砕き、戦争という悪夢から脱出した後どのように行くべきかの道しるべを示した」とあり、実は過去を清算できないままに道しるべまでもたどり着けず迷っているのが主人公たちなのではないか、という指摘も出された。野間の私小説的作品といえば「暗い絵」がある。が、個人的な感想としては、野間の代表的な短編二作であるだけに大変面白く、この二作を〈社会派の私小説〉というテーマで読もうという発表者の意欲を買いたいと思った。大沼さん、ご苦労様でした。

[沼田真里]


2005.8.4

[研究会]第5回[通算87回] 小林多喜二『党生活者』

 本年第5回目の発表は山中秀樹氏による、小林多喜二の『党生活者』。従来、蔵原惟人のプロレタリア・レアリズムの理論に基づき、前衛であることと、前衛の眼をもって小説を書くことを一致させた作品と評価されてきた『党生活者』を、発表者は〈「個人的生活」を断ち切り、自己の絶対化を経て、「階級的生活者」として完成するまでの「私」を描こうとした作品〉〈労働者、大衆のためにと言いつつ、それから大きく離れ、孤立していく。そういう矛盾した自己というものを〉描こうとしたと読み解く。その根拠として、〈作品の中心は「私」自身の「党生活」である〉点や、〈倉田工業における労働の実態や自分たちの工場細胞としての活動の中身よりも、個人的生活と階級的生活とを一致させんとする「私」の在り方に、作品の重点が置かれている〉ことなどをあげている。発表者の読みは、革命の実践者であることと文学者であることのジレンマのなかで非業の死を遂げた多喜二の作品を、作者の「私」という切り口から開こうとする新たな試みであるといえるだろう。研究会ではこの他「ハウスキイパー」問題として論議を呼んだ〈笠原〉の描かれ方などが活発に議論された。

[河合 修]


2005.8.11

[研究会]第6回[通算88回] 野口赫宙(張赫宙)『遍歴の調書』

 河合修氏による野口赫宙(張赫宙)『遍歴の調書』(新潮社、1954年11月)についての発表。まず河合氏は、戦前、プロレタリア作家としてのデビューから、転向の時期を経て「親日」的作品を書き、戦後日本人として帰化するまでの野口の道程を丹念に追う。その上で河合氏は、野口がその自らの道程を、『遍歴の調書』の中でどう表現したかを問題視する。「親日」行為という決定的な負の遺産を背負いながら、それと正面から対峙することを避けつつ「私」を語っている、とするのである。そんな作家の自己の在り方について、議論は賛否に分かれた。また、現在、野口赫宙を評価するにあたって、河合氏も発表で触れていたように、「日本語」で書くことを選んだこと、自ら言語を選び取るという姿勢が早くからあったこと、作中でも方言へのこだわりを見せている点など、作家の言語意識についても、話題となった。他に、『遍歴の調書』においては、作家自身が「野口赫宙」という筆名を選んでいるのに対し、発表者がレジュメにおいて「張赫宙」と併記する必要があるのか、という根本的な指摘もあった。

[山中秀樹]

2005.9.8


[研究会]第7回[通算89回] 有島武郎『迷路』

 今回の研究会では、大西望氏が有島武郎の『迷路』をとりあげた。発表者は、この作品を、作家自身が多分に投影されている自己確立のもがきを描いた小説として、自我の混乱の様子を詳細に分析していた。この自我確立のもがき、自我の混乱について、作品の結末では、再びふりだしに戻ってしまったのか、あるいは少しでもいい方向に向かっているのか、といったことが問題となった。更に、「社会派」という今号のテーマから考えて、作品の背景として描かれている、社会主義の問題、日露戦争の意味、などが質問として提出された。当研究会では、毎年のテーマによって、それぞれが扱う作家、作品が決まるため、必ずしも自分の研究にあった対象を担当出来るとは限らない。そういう時は一から勉強する必要があるので、今回のように扱う対象が大きい場合、かなり多くの勉強が必要になる。発表者の方、本当にご苦労様でした。

[梅澤亜由美]


2005.9.29

[研究会]第8回[通算90回] 木下尚江『墓場』

 今回は齋藤秀昭氏による木下尚江『墓場』の発表。“木下尚江の「転向」小説――『墓場』における自己の探求・解剖・埋葬・再生――”という題で発表がなされた。題のとおり、発表者は主人公=作者がキリスト教(的)社会主義という主義(思想)に生きてきたが、自己の矛盾、欺瞞に気づき、この小説において自己の再生を試みているとした。「墓場」という言葉のもつ多様な象徴性や回想と現在が入り混じって展開されていく小説の中での鈴代という女性の存在など、問題となる所が多い小説で、その分作者の意図を読み取るのが面白かった。今年の研究会のテーマに即した問題では、自分の信じた主義(思想)に挫折し、私小説を書いた作家のその後の人生はどうなるのか、作者にとって社会変革とは何なのか、ということを考えた。今回は、発表者のこの小説に対する情熱が多々感じられる発表であった。

[大西 望]


2005.11.10

[研究会]第9回[通算91回] 宮本百合子『播州平野』

 日本の敗戦という歴史的瞬間を巧みな表現と真実性で描いたという点において「有名」な『播州平野』を、現在の我々はどのように読めばいいのか? 徳永直の『妻よ、ねむれ』と共に戦後文学の出発を飾る作品として評価の高い作品ではあるが、ある種の先入観を除いて読めば、この作品が諸手を挙げて評価できるような作品ではないということも明らかである。伊原氏はまず、これまでの作品評価を踏襲される形で、『播州平野』を「人間の尊厳とあり方を強く訴えたもの」として捉え、「戦争の悲惨さ」や「引き裂かれていった家族の愛情」、「人間の生き方」を描いた作品として高く評価なされた。また、百合子の戦後における「早い立ち上がり」や単行本化の際の加筆訂正の中身、音声表現(「音」と「沈黙」)の巧みさ等にも触れながら、改めて本作品の優れた部分を再確認し分析してみせたと言える。しかし、発表の後半で御自身が紹介された『播州平野』に対する批判的意見に対して、伊原氏は一体どのように反論を展開なされるおつもりだったのか? その辺りが結局、今回の発表では曖昧模糊としていたという印象である。参加者からも「百合子の悪いブルジョア性がこの作品からも窺われる」とか、「民衆の立場を理解する(描く)といっても、百合子自体が民衆の現実から遠く離れている」とか、「朝鮮人に対する認識が浅い」とか、その他様々な意見が出されることとなった。これらは作品の具体的な描写に基づく批判であっただけに、無視できるようなものとは思われない。『播州平野』は専ら文学史的には高い評価を受け続けてきた作品なだけに、パッとその評価を反転させることは難しいし、奇をてらって反転させれば良いというものでもない。そうした処理の難しさはあるにしても、伊原氏の今後の課題が、現代も読まれるに値する『播州平野』の真の文学的価値を、一切のイデオロギー的解釈を退けた上でさらに追究するということにあるのは、疑い得ないことだろう。伊原氏の力強い『播州平野』論の登場を切に願う。

[齋藤秀昭]


2005.11.17

[研究会]第10回[通算92回] 高史明『闇を喰む』

 発表は李英哲氏『闇を喰む』。まず特記すべきことは、発表者が作品年表と日本共産党史および在日朝鮮人史を一目でわかるようにまとめあげ、資料的価値が大変高い年表を作成した。これは文庫本巻末に付表として掲載するくらいの価値があると出席者からも評価されていた。長編をどのように問題点を絞り、まとめるかが大きな課題となるところだが、発表者は、作者のこれまでの作品や言説を引用し、作品内の問題点を指摘していた。さらに、「社会に向き合う」という意味では、日本人プロレタリア作家が見えていなかったと思われる視点をしっかりと獲得しているのではないかという、今年の発表全体のまとまりとも思える意見も出た。まさに、今年度の最後の発表にふさわしい作品であった。

[nuts723]


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